2008-05-01 Thu
4月30日、灘高校の木村達哉先生が創立記念講演で来校された。全国に名だたる灘高校の先生であるし、ドラゴン桜に関係してみえる先生でもあるということで、受験の神髄みたいな話かなあと思っていた。
正直言ってあまり期待していなかった。
ところが、とてもおもしろい。とにかくリズムよく繰り出されるエピソードの数々に笑い転げているうちに講演時間が過ぎていた、という感じだった。
授業をよくするために落語に通って「間」を学んだというあたり、我が意を得たりという思い。
もっともっと上を目指して授業を磨いていこうという勇気をもらった。ありがとうございました。
正直言ってあまり期待していなかった。
ところが、とてもおもしろい。とにかくリズムよく繰り出されるエピソードの数々に笑い転げているうちに講演時間が過ぎていた、という感じだった。
授業をよくするために落語に通って「間」を学んだというあたり、我が意を得たりという思い。
もっともっと上を目指して授業を磨いていこうという勇気をもらった。ありがとうございました。
2008-05-01 Thu
本校卒業生で上越教育大学2年の山本君が全日本国公立大学スキー選手権大回転で優勝しました。おめでとうございます。
2007-12-02 Sun
Wikiというシステムがある。もとはアメリカの先生がネットワーク上に簡単に使える電子ノートがあったら便利だなあと作ったものだとか(詳しいことは「Wiki」で検索すればいくらでも情報が出てくる)。
このWikiはだれでも簡単に編集が可能だということでネットワーク上での共同作業に向いている。これを授業に使えないだろうか、と考えたのは自然な流れ。たくさん、とは言わないが欧米を中心としてここ10年ほど研究が重ねられている。
ぼくが3年前に「認知科学」を学ぼうとして中京大学の通信制大学院に入学したとき、その教授が「三宅なほみ」先生で日本の「学習科学」の第一人者。そして、その大学院での研究で「考える力」について考えたいと希望していたぼくに、このシステムによる教育の可能性を教えてくださった。
さっそく、自力で西高校の授業用サーバにWikiシステムを設置し、情報の授業での試行を始めた。使ってみると、なかなかおもしろい。それ以来、このWikiシステムを利用した授業の構築に挑んでいる(当然、修士論文も「Wikiを利用した小論文の学習」だった)。
おもしろいことの一つめは、書くことが同時に読まれることにつながっているということ。掲示板のように、書きこむそばから公開されていくので、いつも「読まれている」という意識が生まれる。このことが、どうやったらわかりやすくできるか、という意識にもつながっていくようで、原稿用紙に書き込むだけの学習よりも効果的だった。
次に、意見交換の敷居が低いということ。たとえば、内気なために教室で挙手をして発言するという活動がほとんどみられない生徒であっても、このWikiでは思うままに発言できる。もちろん、これが最善だとは思わない。堂々とみんなの前で発言し、意見交換できる方がいいに決まっている。しかし、いきなりそうはならない。まずは第一歩として、このシステムが貢献するということも十分あり得そうだ。
また、Wikiを使って相互評価を進めてみると、評価されたことを活かして改善するばかりではなく、「評価した経験」を使って自力改善していく傾向も見られる。他の生徒の作品を読み、批評していくうちに、それが自分のものにフィードバックしてくる。これもなかなか興味深い傾向である。ここにも「メタ認知」による成長が見られるようだ。
このように、Wikiはインターネットを利用した教育の高い可能性を示すものとして、今後も西高校の情報科ではおおいに利用されていく。
このWikiはだれでも簡単に編集が可能だということでネットワーク上での共同作業に向いている。これを授業に使えないだろうか、と考えたのは自然な流れ。たくさん、とは言わないが欧米を中心としてここ10年ほど研究が重ねられている。
ぼくが3年前に「認知科学」を学ぼうとして中京大学の通信制大学院に入学したとき、その教授が「三宅なほみ」先生で日本の「学習科学」の第一人者。そして、その大学院での研究で「考える力」について考えたいと希望していたぼくに、このシステムによる教育の可能性を教えてくださった。
さっそく、自力で西高校の授業用サーバにWikiシステムを設置し、情報の授業での試行を始めた。使ってみると、なかなかおもしろい。それ以来、このWikiシステムを利用した授業の構築に挑んでいる(当然、修士論文も「Wikiを利用した小論文の学習」だった)。
おもしろいことの一つめは、書くことが同時に読まれることにつながっているということ。掲示板のように、書きこむそばから公開されていくので、いつも「読まれている」という意識が生まれる。このことが、どうやったらわかりやすくできるか、という意識にもつながっていくようで、原稿用紙に書き込むだけの学習よりも効果的だった。
次に、意見交換の敷居が低いということ。たとえば、内気なために教室で挙手をして発言するという活動がほとんどみられない生徒であっても、このWikiでは思うままに発言できる。もちろん、これが最善だとは思わない。堂々とみんなの前で発言し、意見交換できる方がいいに決まっている。しかし、いきなりそうはならない。まずは第一歩として、このシステムが貢献するということも十分あり得そうだ。
また、Wikiを使って相互評価を進めてみると、評価されたことを活かして改善するばかりではなく、「評価した経験」を使って自力改善していく傾向も見られる。他の生徒の作品を読み、批評していくうちに、それが自分のものにフィードバックしてくる。これもなかなか興味深い傾向である。ここにも「メタ認知」による成長が見られるようだ。
このように、Wikiはインターネットを利用した教育の高い可能性を示すものとして、今後も西高校の情報科ではおおいに利用されていく。
2007-11-29 Thu
保護者のみなさんには耳慣れない教科だろう。それもそのはず、まだ始まって数年という「若い」教科だ。1995年以降インターネットの急激な進展から社会の高度情報化という変化が起き、それに対応していけるようにと2003年度、新たに設置された教科だ(ちなみに普通科の高等学校では必修である)。
当然のこととして、まだまだ社会的な認知は少ない。「高度情報化社会の諸課題を主体的・合理的に解決し、社会の発展を図る創造的な能力と実践的な態度を育てる」。そんなこと言われてもなんのことだかわからない、という人が大半だろう。
そこで出てくる代表的な誤解が「情報ってコンピュータの使い方を学ぶんだろ?」というもの。「情報の先生なんだからワードの使い方教えてよ」なんてことも言われる。うーーーーーーん。だいぶ違うんだけれどなあ。。。
教科「情報」にとってコンピュータは便利な道具のひとつに過ぎない。決して目的ではない。時にはコンピュータにふれることなく議論を重ねることが必要となることもある。つまり目指しているのは、私たちの身の周りに「過剰に」あふれている情報に流されることなく、主体的な人生を送っていきましょう、ということ。
だから、現在の情報の授業は「レポート作成」が中心となっている。調べたことを発表しましょう、だけでは幼稚すぎる。自分の意見に対して反論は成立しないだろうか、成立するとすれば、それに対する反駁はありえるのだろうか。いや、もっと高い観点というのはありえないのだろうか。つねに自問自答しながら、論文を構築していく。そこにインターネット技術を利用した学習が始まっている。
ああディベートのことですか。いいえちがいます。ディベートは結論が先にある。それも他から強制的に割り当てられた結論が。その結論にさまざまな装いをさせて相手の論より魅力的に見せるための技法。たんなる小手先の口げんかであり、心の奥底をふるわせる感動からはほど遠い。一方だけが勝つための議論であり、その議論があらたな発想や発見に結びつかない。アウフヘーベンしない。
じゃあ、具体的にどんなことを目指し、どんなことが本校で行われているのか、ということについて、この先ぼちぼちとお伝えしていく。なんだこの程度のことか、で終わるのか、それとも、なるほどおもしろいなあ、となるのか。ちょっと緊張している。
教科「情報」は、若いだけにどのようにでもかわっていく可能性のある教科だ。それだけに一部の学校で行われているようなアプリケーション実習だけの消化試合は悲しい。西高校の「情報」は全国的に見ても先進のものだ。その心意気を忘れないようにしたい。
当然のこととして、まだまだ社会的な認知は少ない。「高度情報化社会の諸課題を主体的・合理的に解決し、社会の発展を図る創造的な能力と実践的な態度を育てる」。そんなこと言われてもなんのことだかわからない、という人が大半だろう。
そこで出てくる代表的な誤解が「情報ってコンピュータの使い方を学ぶんだろ?」というもの。「情報の先生なんだからワードの使い方教えてよ」なんてことも言われる。うーーーーーーん。だいぶ違うんだけれどなあ。。。
教科「情報」にとってコンピュータは便利な道具のひとつに過ぎない。決して目的ではない。時にはコンピュータにふれることなく議論を重ねることが必要となることもある。つまり目指しているのは、私たちの身の周りに「過剰に」あふれている情報に流されることなく、主体的な人生を送っていきましょう、ということ。
だから、現在の情報の授業は「レポート作成」が中心となっている。調べたことを発表しましょう、だけでは幼稚すぎる。自分の意見に対して反論は成立しないだろうか、成立するとすれば、それに対する反駁はありえるのだろうか。いや、もっと高い観点というのはありえないのだろうか。つねに自問自答しながら、論文を構築していく。そこにインターネット技術を利用した学習が始まっている。
ああディベートのことですか。いいえちがいます。ディベートは結論が先にある。それも他から強制的に割り当てられた結論が。その結論にさまざまな装いをさせて相手の論より魅力的に見せるための技法。たんなる小手先の口げんかであり、心の奥底をふるわせる感動からはほど遠い。一方だけが勝つための議論であり、その議論があらたな発想や発見に結びつかない。アウフヘーベンしない。
じゃあ、具体的にどんなことを目指し、どんなことが本校で行われているのか、ということについて、この先ぼちぼちとお伝えしていく。なんだこの程度のことか、で終わるのか、それとも、なるほどおもしろいなあ、となるのか。ちょっと緊張している。
教科「情報」は、若いだけにどのようにでもかわっていく可能性のある教科だ。それだけに一部の学校で行われているようなアプリケーション実習だけの消化試合は悲しい。西高校の「情報」は全国的に見ても先進のものだ。その心意気を忘れないようにしたい。
2007-11-28 Wed
若手の先生(地歴)とふたりで「勉強会」を始めた。テーマは「小論文」。
特に「考える力」に直結した小論文の書き方とはどうあるべきなのか、を考えてみようというわけだ。
ひとりで悩んでいてもなかなか前には進まない。こうやって仲間ができたということがうれしい。
当面は実際の生徒の作品を見ながら、何が問題なのか、何をどのように指導していけばいいのか、など考えてみたい。
ゴールがあるわけでもない。ルートが確定しているわけでもない。先人たちの知恵を大いに拝借しながら、西高校の生徒に還元できるような指導方法の確立を夢見て歩いていきたい。
継続は力なり、なるほどそうだと思う。
特に「考える力」に直結した小論文の書き方とはどうあるべきなのか、を考えてみようというわけだ。
ひとりで悩んでいてもなかなか前には進まない。こうやって仲間ができたということがうれしい。
当面は実際の生徒の作品を見ながら、何が問題なのか、何をどのように指導していけばいいのか、など考えてみたい。
ゴールがあるわけでもない。ルートが確定しているわけでもない。先人たちの知恵を大いに拝借しながら、西高校の生徒に還元できるような指導方法の確立を夢見て歩いていきたい。
継続は力なり、なるほどそうだと思う。